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東京地方裁判所 平成6年(ワ)18469号 判決 1996年12月25日

原告

星雄三

右訴訟代理人弁護士

井出雄介

被告

学校法人日本医科大学

右代表者理事

大塚敏文

被告

百束比古

右両名訴訟代理人弁護士

今井文雄

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自三〇〇二万九四〇一円及びこれに対する平成四年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、昭和六二年一二月七日発生の交通事故により負傷し、右眼球外下方偏位、右眼球陥没、複視等の障害を残していた原告が、被告学校法人日本医科大学(以下「被告大学」という。)の設営する日本医科大学附属病院(以下「被告病院」という。)において、昭和六三年八月六日以降、四回にわたり、右障害の修復等を目的とする手術を受けたところ、右各手術の術式選択が相当でなかったため症状が一層悪化したなどと主張して、被告大学に対し診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償を、担当の形成外科医であった被告百束比古(以下「被告百束」という。)に対し不法行為に基づく損害賠償を各請求している事件である。

二  争いのない事実等

1  当事者

(一) 原告は、昭和一一年八月二三日生まれの男性であり、昭和六二年一二月当時、妻とともに茶の製造販売業を営んでいた者である(<書証番号略>)。

(二) 被告大学は、肩書地において被告病院を設営する学校法人である。

(三) 被告百束は、昭和五〇年に被告大学を卒業して医師免許を取得し、昭和六二年に被告大学皮膚科学教室講師(形成外科学専攻)に、平成二年に被告大学形成外科学教室助教授になった後、現在は被告大学形成外科学教室主任教授、被告病院形成外科部長として稼働する形成外科医であって、本件当時、被告病院において、原告の主治医となってその治療に当たった者である(<書証番号略>)。

2  原告の交通事故による受傷及び被告病院による診療以前の治療行為(<書証番号略>弁論の全趣旨)

(一) 原告は、昭和六二年一二月七日、自動車運転中の交通事故(以下「本件交通事故」という。)によって、眼窩床骨折、顔面挫創、頸髄不全損傷、頸椎後縦靱帯骨化症、胸腹部打撲の傷害を負った。

(二) 原告は、右交通事故後、神奈川県小田原市本町一丁目一番一七号所在の医療法人同愛会小澤病院(以下「小澤病院」という。)に救急車で搬送されて入院し、同年一二月二四日、下眼瞼等を皮切りして骨折部位を整復する眼窩床骨折観血手術を受けて、昭和六三年一月二四日、同病院を退院した。

(三) 原告は、小澤病院からの紹介で、同月二五日、横浜市緑区藤が丘一丁目三〇番地所在の昭和大学藤が丘病院(以下「昭和大学病院」という。)に入院し、同月二八日、陳旧性顔面骨骨折、右眼瞼瘢痕拘縮の障害を治療するため、外眼角部の眼球と眼瞼結膜の癒着を剥離し、上下眼瞼の欠損部に口腔粘膜を移植するという瘢痕拘縮形成術、植皮術の手術を受けた。原告は、その後一旦は小澤病院に転院していたものの、陳旧性顔面骨折、右眼瞼瘢痕拘縮の障害を治療するため、同年三月八日、再度昭和大学病院において上顎洞内を膨張させる(バルーン)観血的整復術の手術を受け、さらに同月二二日、右眼窩底に右腸骨を移植する瘢痕拘縮形成術、骨移植術の手術を受けて、同年四月一二日、同病院を退院した。

3  被告病院における治療行為(<書証番号略>)

原告は、昭和六三年八月六日、被告大学との間で、右眼球外下方偏位(眼球下垂)、右眼球陥没、複視(眼球運動制限を含む。)などの障害の修復に関し、被告病院において診療を受ける旨の診療契約を締結し(以下「本件診療契約」という。)、被告百束らを主治医として、四度にわたり、以下のような手術を受けた。

(一) 原告は、被告病院眼科医の紹介により、昭和六三年八月六日、形成外科外来で診察及び検査を受け、その結果、同年一〇月ころ、右眼位の挙上、右眼球外下方偏位の矯正等を目的とする頭蓋骨移植手術を望むに至った。

そこで原告は、同年一二月二二日、被告病院形成外科に入院し、同月二六日、形成外科の被告百束、大久保医師及び滝沢康医師の担当により、右眼球の下にいわば棚を形成するため、頭頂部より採取した頭蓋骨外板(長方形の骨片)を右眼窩床、右眼窩内側、鼻骨の三箇所に移植する手術を受け(以下「第一回手術」という。)、平成元年一月二八日、被告病院を退院した。

(二) 原告は、同年一〇月二七日、再び被告病院形成外科に入院し、同月三〇日、形成外科の被告百束、大久保医師及び高他俊哉医師の担当によって、側頭筋膜を右上眼瞼に移植し、また側頭筋膜を翻転させて、上下眼瞼を上方に吊り上げる手術を受け(以下「第二回手術」という。)、同年一一月二八日、被告病院眼科に転科して入院を続けた後、同年一二月二二日、被告病院を退院した。

(三) 次いで原告は、平成二年一〇月一日、被告病院形成外科に入院し、被告百束から、三度目の手術につき「右眼窩上部の前頭骨部分を開頭し、開口部分からアプローチし、原告から採取した肋骨片ないし肋軟骨片を右眼窩内壁骨に接着させ、これにより右眼球陥没及び下方偏在を上昇させる。加えて複視も治療できる。」旨の説明を受けた上、同月八日、形成外科の被告百束、山村美和医師及び吉田医師、脳神経外科の矢嶋浩三医師の担当によって、前頭骨部分を開頭した上、開口部から、原告より採取した肋骨片又は肋軟骨片を挿入し、これらを右眼窩内壁から下壁にかけて右眼窩内容積に充填する手術を受け(以下「第三回手術」という。)、同年一二月一日、被告病院を退院した。

(四) 原告は、平成三年三月七日、被告病院形成外科に入院し、同月一八日、形成外科の被告百束、滝沢医師、山村医師及び大久保医師の担当によって、右眼直下の皮膚切開線から眼窩下壁に肋軟骨を移植し、下眼瞼壁に右耳介軟骨を移植するなどの手術を受け(以下「第四回手術」という。)、同年五月一日、被告病院を退院した。

4  被告病院による診療以後の治療行為(<書証番号略>)

(一) 原告は、平成三年五月二七日、再度昭和大学病院の形成外科外来の診察及び検査を受け、前記障害の治療のため、平成四年一月一四日、同年三月一三日、同年七月九日の三回にわたり手術を受けたが、兎眼と睫毛内反による角膜ビランが反復して生じ、さらに、ビラン部に角膜潰瘍が出現するようになり、平成四年一一月ころには、角膜潰瘍部が白色化し、閉眼することができないほどの眼痛が生じるなど症状が著しく悪化したため、同年一二月八日、昭和大学病院において、義眼を装着することを前提として、右眼球を摘出する手術を受けた。

(二) 原告は、平成五年一一月八日、大阪府高槻市大学町二番七号所在の大阪医科大学附属病院(以下「大阪医大病院」という。)形成外科外来の診察及び検査を受け、将来眼瞼及び義眼床を形成することを前提に、平成六年五月二六日、前頭骨骨移植術、右頬骨骨切り、顔面神経麻痺静的手術の手術を受け、その後、同年九月二〇日、右下眼瞼の形成や鼻骨等への胸部真皮脂肪の移植を内容とする下眼瞼瘢痕拘縮形成術、義眼床形成術、遊離複合組織移植術、真皮脂肪移植術の手術を受けて、同年一〇月一五日、右眼球に義眼を装着した。

三  争点

本件の争点は、被告病院の行った第一ないし第四回目手術における術式選択等の相当性及び損害額である。

1  本件各手術の術式選択等の相当性―被告百束の過失の有無、本件診療契約上の被告大学の債務不履行の有無

(原告の主張)

(一) 原告の障害は、右眼窩下底壁骨骨折、右眼窩内壁骨骨折に起因する右眼球外下方偏位、右眼球陥没、複視であり、右眼球外下方偏位、右眼球陥没を審美的に形態修復し、複視(右眼球運動制限を含む。)を機能回復することが本件診療の目的であった。

このような障害に対する手術は、美容整形的要素が強いものであり、一般に生命、身体の維持・保全の観点からすると緊急性はなく、その必要性もさほど強いとはいえないから、医師は、専門的見地から、事前に手術の要否、術式の相当性を特に慎重に判断する必要がある。右判断においては、患者の主観的な希望に拘泥することなく、醜状の残る可能性、他の部位に及ぼす影響、手術の困難性などといった手術の奏功度合いを、特に客観的に慎重に検討しなければならない。そして手術の施行に際しては、医師は患者の患部の症状につき十分な事前検査を行い、高度の専門的見地から、手術の術式、程度、侵襲の範囲等を十分に検討し、多数回の手術を行うときは、特に術後の状態にも慎重に配慮しながら、事後の手術の進行、術式等を決するべきであり、また、仮に同種の手術を多数経験していない場合には、熟練した医師の診断、手術を受けるよう患者に勧めるなど、適切な指示・紹介をなすべきである。

これらの注意義務は、被告病院が一般に最も信頼される大学総合病院であって、被告百束が形成外科の分野の権威であることから、特に高度なものというべきである。

本件において、原告は顔面骨(頬骨)複雑骨折、眼窩下壁骨折の障害を有していたから、被告百束は、前記のような専門的見地から、まず骨折した頬骨を整復固定する手術を行って、眼窩内下壁の欠損範囲を確定し、しかるのちに下壁を再建し、眼球陥没・眼球位置下降・複視の是正を試みるべきであった。また、被告百束は、眼窩骨下壁再建の前段階として、患部を十分に展開した上、右眼窩内容組織の完全な整復挙上措置を行い、さらに非展開の骨折部に軟部組織(眼窩内容)の陥入が必ずあるので、一層念入りに修復を行う必要があった。

しかるに、被告百束は、原告に対し「簡単に治ります。」などと告げた上、一連の手術に当たり、一貫して頬骨を再建する手術を行う旨事前に説明し、事後もその旨説明していたにもかかわらず、実際には頬骨の整復固定措置を何らなさず(結局、第四回手術に至っても頬骨の整復措置を行わなかった。)、以下に述べるとおり、無効、有害な手術を四回にわたって行ったものである。

(二) 第一回手術について

被告百束は、眼窩下壁再建を目的とする手術を行うに当たり、患部を十分に展開した上で右眼窩内容組織を完全に整復挙上する措置を行わず、上顎洞と眼窩内容との関係を確認しないまま、下降していた眼窩内容組織の直下の下壁骨折欠損部位に頭骨片を敷いただけであったので、原告の障害、とりわけ右眼球外下方偏位は全く改善されなかった。また、被告百束は、原告の右眼窩容積が増大していたから、この容積を適正に縮小するよう、内壁骨折欠損部位に対し適切な措置をとる必要があるのに、これをしなかったため、原告の右眼球陥没及び複視の症状は改善しなかった。のみならず、被告百束は、移植用頭骨片の採取後の傷跡を修復しなかったため、縦四センチメートル、横4.5センチメートルの範囲で頭骨が欠損し、外部からの刺激に対して無防備で、危険な状態のまま放置されているものである。

したがって、第一回手術は、本件診療の目的に照らし相当な術式とはいえず、むしろ他の部位に危険を及ぼす有害なものである。

(三) 第二回手術について

第二回手術は、下垂しかつ陥没している右眼球自体の位置を修正しないまま、眼瞼のみを無理に上方に吊り上げたものであるが、その結果、右眼に審美的な修復は何ら認められず、眼球下垂、眼球陥没、複視の症状も改善しないばかりか、かえって、右手術以降、原告は閉眼することができなくなり、視野が狭くなり、角膜が乾燥し、右眼球に重度の疼痛を覚えるようになるなど、その症状は一層悪化するに至った。また、被告百束は、右手術に先立ち、原告に対し何ら術式の説明を行っていない。

したがって、第二回手術は、本件診療の目的に照らし相当な術式とはいえず、むしろ他の部位に危険を及ぼす有害なものである。

(四) 第三回手術について

第三回手術は、何らの必要性もないのに、前頭骨部分をドリルで直径約八センチメートルの円形に開頭して行われたものであり、右手術によっても、被告百束の前記二3(三)記載の説明に反して各種症状は一向に改善されず、かえって原告の右眼は兎眼になり、醜状(右眼球下垂、陥没、眼球運動制限)は一層強くなった。しかも、開頭部の骨の復元がなされず、頭骨欠損が生じて重度の頭骨変形が発生し、同部位の軟組織が頭骨欠損部に食い込み、同部位に激痛が発生するようになり、また、頭骨の変形により顔面神経麻痺が残るなど、症状は一層悪化した。特に、後日の大阪医大病院での手術において、頭蓋内に髪が散在しているのが発見されており、これらの点からして、右術式が危険かつ有害なものであったことは明らかである。

なお、被告百束は、平成四年四月二七日、原告に対し「第三回手術のような頭蓋骨内アプローチは術式としてあり得ず、医学書にも全く記載はない。一連の手術は、結局誤った手術であった。この上は今後どんなことをしても償っていきたいから許して欲しい。」旨述べてもいる。

したがって、第三回手術は、本件診療の目的からは理解し得ない無意味なものであり、むしろ他の部位に著しい危険を及ぼす有害なものというべきである。

(五) 第四回手術について

被告百束は、兎眼の症状を改善するため、右眼窩骨左側壁に耳骨片を挿入移植する手術を施行したものであるが、かえって兎眼の程度は重くなり、右眼球が一連の手術により度重なる侵襲を受けて萎縮し、右眼球に激痛が常時発生するなど、その症状は一層悪化した。

したがって、第四回手術は、効果のない無意味な手術であった。

(六) 被告百束は、前記(一)記載の義務に違反して無効、有害な本件一連の手術を行ったものであり、被告百束には術式選択等において過失があり、また、本件診療契約上被告大学には債務不履行の責任がある。したがって、被告百束は不法行為に基づき、被告大学は債務不履行責任に基づき、いずれも原告に生じた後記2記載の損害を賠償する責任がある。

(被告らの主張)

(一) 本件診療契約は、当時の医療水準により最善を尽くして診療を行うことを内容とするものである。被告らが、手術の要否、術式の相当性などを判断するに当たり、原告の指摘する点を考慮すべきことは認めるが、注意義務の程度については、右契約されたところに従い決せられるべきものである。

原告が被告病院で受診したのは、本件交通事故による受傷から約八か月が経過した時期であった上、他の医師により既に四度の手術を受けた後であった。被告病院の初診時における原告の障害としては、原告主張の右眼球外下方偏位、右眼球陥没、複視だけにとどまらず、右顔面神経麻痺、右下眼瞼瘢痕拘縮及び萎縮による兎眼、右陳旧性頬骨複雑骨折、陳旧性鼻骨骨折、右眼窩内壁骨折、右眼窩床骨骨折があり、これらは、眼窩内の複雑骨折及び骨欠損による眼窩内容積の増大、眼窩内軟部組織の周囲への高度癒着、眼球周囲及び後方の軟部組織の瘢痕性萎縮等の原因が複合して生じたものであった。具体的に言えば、初診時の原告の外貌等は、その右眼は下を向いてうまく動かず、眼瞼は瘢痕のため固くなってうまく動かない、下眼瞼は眼球に引きずり込まれて外反し、角膜は乾燥気味で、眼球本体は奥まって眼窩の底にはまったかのように見え、眼球運動はもはや改善不可能という状態であり、そして、眼球陥没の原因は、必ずしも眼窩内容積の拡大だけではなく、眼窩内軟部組織の萎縮、癒着、拘縮がその成因に寄与していると判断されたのである。

また、原告は、前医の治療、手術の結果又は途中経過に満足せず、前医に無断で被告病院に転医し、被告病院への来院に際し前医の紹介状を持参しなかったため、被告病院では過去に受けた手術内容を知り得なかったものである。

原告は、被告病院に対して、右眼視力の保全を前提とする修復を求め、被告百束らからの、眼球を摘出して義眼にしたらどうかとの示唆には応じなかった。そこで、被告百束らは、原告の初診時の障害が甚だ悲惨かつ陳旧性の状態にあり、しかも前医の施した治療の内容を知り得ない状況の下で、また、右眼球の温存と視力保持という制約の下で、前記障害を改善するための治療を行うという、高度の手技と細心の注意が要求される極めて困難な治療を行うことを余儀なくされた。そして、後述するとおり、被告百束らは、前後四回の手術を行ったが、いずれも何らの過誤もなく終了し、一応の成果を上げたものである。

(二) 第一回手術について

被告百束は、第一回手術において、両眼瞼の拘縮及び萎縮による兎眼、バラバラの右頬骨、前記複合的原因による眼球陥没、右顔面神経麻痺などの障害につき、総合的な矯正を性急に企てると、何らかの不確定因子の影響により、かえってバランスを失い症状悪化のおそれがあったことから、あらゆる危険を回避しつつ段階的に手術することとし、まずは右眼窩内容の周囲からの剥離、右眼球の下方転位と眼窩下壁への癒着の修正を目的とし、最も必要でありかつ危険性の少ない右眼窩下の骨欠損、眼球陥入の矯正を行った。被告百束は、眼球や視神経への損傷を回避しながら、可能な範囲で、眼窩内容と上顎洞粘膜又は前医により移植された腸骨片とを慎重に剥離し、下壁骨折欠損部位に頭骨片を敷いたものであって、右施術により、少なくとも右眼球下方偏位は改善された。

原告は、右頬骨骨折に対する整復固定措置を最優先になすべきであったと主張するが、前記のとおり陳旧性の状態にある障害につき、前医による形成外科的治療の経緯が分からないときには、不用意に細骨片に粉砕された頬骨の修復を試みると、感染による合併症を招く高度の危険性があり、最悪の場合失明のおそれすらあるから、右眼球を保存するという本件の前提の下では、原告主張の術式は相当とはいえない術式であった。

また、右眼窩内容組織の完全な整復挙上は、眼窩骨下壁再建の前段階として当然なすべき措置であるとまではいえず、むしろ、他の医師による形成手術後の症例で、視神経損傷や眼球損傷の危険があった本件の場合には、これを回避すべきであった。

さらに、非展開部である内壁骨折の部位まで展開して修復する措置は、視神経損傷や眼球過圧迫、血流障害の危険が必至であったから相当ではなく、右眼窩容積を適正に縮小する措置も、本件のように前医の手術を引き継ぎ、かつ先の手術内容が明らかでない場合には、左右両眼の眼窩容積を単純に比較することはできず、眼窩容積の増大が眼球陥没にいかに作用しているのかにつき判断することも困難であるから、一度の手術で眼窩容積を完全に適正化することは危険であって、これを避けるべきであった。

頭骨片を移植したのは、頭蓋骨外板が吸収が少なく密度の高い骨皮質である上、眼窩下壁の曲線に適合する状態で採取できるからであり、右採取部分の外板は、その後徐々に肥厚化して十分な強度に復するため、特段の修復措置をとらないのが通常であって、被告百束は危険な状態のままこれを放置したわけではない。

結局、第一回手術は、原告の眼窩下壁に大きな穴が開いてそこに眼球がはまった状態であったのを、視神経損傷等の危険を回避しつつ、まず右眼窩下壁を形成し、右眼球を上方に挙上したものであり、原告主張のように無効、有害な手術とはいえない。

(三) 第二回手術について

被告百束は、第一回手術で右眼窩下壁を形成したことから、第二回手術では、右眼の視野を拡大すること等を目的として、上下両眼瞼に大腿筋膜を移植し、側頭筋の一部を栄養茎にした筋膜弁として使用して、上下両眼瞼を上方に吊り上げる手術を施行したものである。右手術によって、下垂していた両眼瞼は挙上し整容的にも改善された。

原告の主張する兎眼症状は、通常の眉毛部吊り上げ術において、術後の戻りを計算に入れた過矯正によるものの範囲内であり、半永久的なものであったわけではない。手術後の外来通院中には、兎眼に対する特段の訴えも、重度の疼痛の訴えもなく、第二回手術が右眼球自体に悪影響を及ぼした事実は認められない。

第二回手術は、原告の複合的症状に対する段階的な措置として相当なものであって、原告主張のように無効、有害な手術とはいえない。

(四) 第三回手術について

被告百束は、第一回手術で右眼窩下壁を形成して眼球位置を上昇させ、第二回手術で眼瞼を挙上したので、第三回手術では、眼球陥没を矯正することを目的とし、側頭を切開して視神経を露出させ、眼窩内壁の陥凹部を直視下に展開させた上、そこからアプローチして内壁の欠損陥凹した部位に肋軟骨片等を充填したものである。右手術により眼窩内容積は縮小し、同所内壁の解剖学的構造は正常により近く復するに至った。

確かに、手術開始当初においては、被告百束は、開頭せずに、眼窩上縁を露出させた上で眼球と内壁とを剥離し侵入しようと試みたが、原告の右眼球が通常より奥にはまっていたことから、右術式によって手術を進めれば、眼球過圧迫、視神経損傷の危険が存在した。そこで、被告百束は、かかる危険の回避を第一義に考え、やむなく側頭を切開する術式をとったものである。このような開頭口から右眼窩内壁骨折部へのアプローチによる術式は、当時、眼窩深部の最も安全な展開法として文献的にも普及していた方法である。

第三回手術後に、原告の兎眼、右眼球下垂、眼球陥没、眼球運動制限などの症状が悪化した事実はないし、仮に原告の兎眼が強くなったものとしても、それは主たる障害の眼球陥没が改善されたためであって、兎眼の矯正は別途行えば足りるのであるから、それ自体有害無益な手術とはいえない。

頭骨の変形は手術に随伴する最小限のものにすぎず、通常は何ら問題とされない程度であって、また原告主張のように、頭骨部位の瘢痕から激痛が生じることも考えられないことであり、当時、原告から激痛がある旨の訴えはなかった。

したがって、第三回手術は、眼球陥没の矯正方法として相当であって、原告主張のように無効、有害な手術とはいえない。

(五) 第四回手術について

被告百束は、第四回手術においては、これを最後の手術とする意思の下に、第一回手術で充填した部位より外側に位置する眼球下外側を剥離すること、前医が軟骨を充填したことにより開大した頬骨の眼窩内容積を縮小すること、第三回手術により眼球がやや突出した結果、瘢痕化していた下眼瞼がこれに適応できないために惹き起こされた兎眼的症状を修正すること、結膜萎縮に起因し角膜を刺激するおそれのある睫毛の内反を矯正することなどを目的とした。そして、被告百束は、眼窩に肋骨片を移植、下眼瞼に右耳介軟骨を移植し、同時に整形術により眼瞼外側の挙上、眉毛上皮膚切除による眉毛内側の挙上修正などを行い、右の目的を達した。

原告は、第四回手術後に眼球のひきつれ感や痛みを訴えたが、これらは右術式によって通常生じ得る程度の訴えと判断できるものであって、特に激痛が生じるなどの訴えはなかった。

したがって、第四回手術は、原告の症例に照らし、右眼球を保存したままなすべき最終的な手術としては相当であり、原告主張のような無効、有害な手術とはいえない。

(六) 以上のとおり、被告病院における四回の手術はいずれも所期の目的を達し、原告の前記障害の改善に資する結果となっており、被告大学に何ら債務不履行はないし、被告百束に何ら過失はない。第一回手術前と第四回手術後の原告の顔貌を比較しても、改善状況は明瞭である。

原告は、手術に先立ち、右眼の視力保持、特に失明しないことを強く要望した。四回にわたる手術は、失明の危険を避けるため、順序を立て、細心の注意の下に施行されたものである。被告病院において原告が義眼装着の手術を希望したのであれば、被告百束らが行った四回の手術は無意味であったといえるかも知れないが、原告は、前記のような修復手術を選択し、被告百束らはこれに応じて診療を行ったものである。原告が、本件診療に関し、これを無効、有害と非難するのは、原告と被告大学間の本件診療契約の本旨を忘れているものであり、その非難は当たらない。

2  損害額

(原告の主張)

原告に生じた損害は、以下のとおり、合計三〇〇二万九四〇一円である。

(一) 支払済み治療費(国民健康保険本人負担分)の一部 四〇〇万円

(二) 休業損害 一八五二万九四〇一円

原告は、昭和六三年一二月一日から平成四年四月二七日までの一二四三日間、被告らの診療を受けた(入院実日数は二一七日、通院期間は一〇二六日である。)。原告は、右期間中稼働できなかったものであり、男子平均年収五四四万一四〇〇円(一日当たり一万四九〇七円)を基準に計算すると、原告の休業損害は一八五四万五四八四円(注 計算違いがあり、正しくは一八五二万九四〇一円となる。)となる。

(三) 慰謝料 合計七五〇万円

入通院慰謝料二五〇万円(入院実日数は二一七日、通院期間は一〇二六日、通院実日数は八〇日である。)と後遺障害慰謝料五〇〇万円を合計すると、慰謝料額は合計七五〇万円となる。

(被告らの主張)

(一) 原告主張の事実は争う。

(二) 原告が手術の過程で手術に伴う苦痛を受け、最後に右眼球の摘出を余儀なくされたのは、専ら本件交通事故の加害者の不法行為によるものであり、被告らの診療行為によって、原告の被害が拡大し、又は重畳的にその被害が増大したわけではない。すなわち、原告主張の損害は、専ら本件交通事故によって生じた損害であり、右損害は交通事故の加害者が負担すべきものであって、原告と被告大学との間の本件診療契約に基づいて前記障害の治療に当たった被告らが、その損害を賠償する義務はない。

第三  証拠<省略>

第四  争点に対する判断

一  原告の受傷及び治療の経過について、前記第二の二の事実に加え、証拠<書証番号略>原告本人、被告百束本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和六二年一二月七日、交通事故によって、眼窩床骨折、顔面挫創、頸髄不全損傷、頸椎後縦靱帯骨化症、胸腹部打撲の傷害を受け、同年一二月八日から昭和六三年一月二四日まで小澤病院に入院して治療(手術一回)を受けた。そして、原告は、昭和大学病院で陳旧性顔面骨骨折、右眼瞼瘢痕拘縮と診断され、同年一月二五日から同年二月九日まで同病院形成外科に入院して治療(手術一回)を受けた後、一旦、同年二月九日から同年三月七日まで小澤病院に入院し、その後、同年三月七日から同年四月一三日まで、再度昭和大学病院に入院して治療(手術二回)を受けた。

しかし、昭和大学病院を退院した後も、なお原告の右眼には、閉瞼障害、眼球運動障害、軽度の複視症状、眼痛、三叉神経第二枝麻痺などの障害が残り、兎眼に起因する角膜障害が出現するなど、ほとんど症状の改善はみられなかった。昭和大学病院の眼科医は、当時、原告の右眼球に癒着が強いため、眼球運動に関してこれ以上の外科的治療を行うのは無理であると形成外科医に対し報告しており、同病院形成外科においても、原告の顔面骨骨折、右上下眼瞼瘢痕拘縮の障害につき、同年五月二七日を症状固定日とした上、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書にもはや回復の可能性がない旨明記している。

2  原告と被告大学との間の診療契約の成立

原告は、昭和大学病院に顔面骨再建術の経験者がいなかったことから、他の大学病院に転院することとし、知人から被告病院を紹介されたため、昭和六三年六月三〇日、被告病院眼科の永井真之医師の診察を受けた。永井医師は、原告の症状につき、眼球自体には問題がないようにみえるが、右眼窩下縁が粉砕骨折し、下直筋が引っかかっているようであり、眼球上転が不能な状態であるとの所見から、むしろ形成的手術が適切であると判断し、被告病院形成外科の被告百束に対して診察を依頼した。

そこで、原告は、同年八月六日、被告病院形成外科外来で被告百束の診察を受けたものであるが、当時、原告には、右側顔面神経麻痺(前頭枝)、右下眼瞼瘢痕拘縮及び萎縮、兎眼、右陳旧性頬骨複雑骨折、陳旧性鼻骨骨折、右眼窩内壁骨折、右眼窩床骨欠損という広範な障害が存在し、外貌的にも、左右眼球位置が非対称なばかりか、上方視、前方視においては眼位も極端に非対称で、右眼球陥凹が極めて著明であるなどの著しい醜状が認められた。被告百束が、これらの障害につき、右眼球を保存したまま、多少眼球運動を可能な状態にし、眼球位置を多少なりとも正常に近く復するためには、癒着組織の剥離及び組織充填による形態復元を図る治療を行うのが相当であると判断したところ、原告は右治療を依頼することとなり、もって原告と被告大学との間に、右同日、右障害の総合的な改善を目的とする診療契約が成立した。

3  被告病院における医療行為

(一) 手術前の検査の施行

被告病院において、昭和六三年八、九月ころ、原告に対し二度のCT検査を行ったところ、右側上顎洞内には異常な濃度の軟部組織が存在し、右頬骨が骨折して右眼窩後壁の骨が不連続であるほか、右上顎洞は左上顎洞に比べて容量が少なく、右眼球が下方・外側・眼窩内後方に偏位し、鼻中隔が弯曲しているといった所見が認められた。

原告は、手術前にさらなる精密検査を受けるため、同年一二月一日から同月六日まで被告病院形成外科に入院し、右期間中に眼科外来で検査を受けたところ、左眼の矯正視力は0.9であり、右眼も0.01程度ではあるが、なお視力を有しているものと診断された(ただし、右眼は開瞼不能であったため、正確な検査とはいえない。)。さらに、被告百束は、右入院中の原告につき、放射線医による血管造影検査などの精密検査を行ったものであり、このような検査の結果、原告に関し、右眼窩床吹抜け骨折(ブロウアウト骨折。眼窩縁の骨折がない眼窩底の骨折をいう。)に対して既に遊離腸骨を移植する手術を行った後の症例であること、右眼窩後壁骨折及び眼窩上壁に割れ目が認められるものの、視神経管は正常であること、右眼球が下方・外方・後方に偏在し陥没していること、右眼球は内下方に動くにすぎず運動障害が認められ、眼窩内容物と眼窩壁が癒着していること、頭蓋底骨折による髄液漏れの可能性はCT上は認められないこと、右上顎洞内へ軟部組織が陥入し、前医の手術後に嚢胞が形成されていること等を問題点として認識するに至った。なお、当時、原告には、自制できる範囲内ではあるものの、右顔面創痛や右眼瞼痛、右眼周囲の突っ張り感が時々生じていた。

(二) 第一回手術の施行

被告百束は、これらの検査結果等を踏まえた上、まず右眼球外下方偏位を矯正する前提として右眼窩床の形成手術を行うこととし、原告は、右手術を受けるため、昭和六三年一二月二二日、被告病院に入院した。そして原告は、同月二六日、形成外科の被告百束、大久保医師及び滝沢康医師らの担当により、観血的整復術、頭蓋骨移植術の手術を受け、平成元年一月二八日、被告病院を退院した。右手術において、被告百束は、原告の右眼窩下縁部分を切開し、前医が眼窩底に移植した腸骨と眼球の癒着を、眼窩内壁の一部から外壁までの範囲で剥離した上、頭頂部より採取した頭蓋骨外板(縦四センチメートル、横4.5センチメートルの長方形の骨片)を右眼窩床及び右眼窩内壁の欠損部位に移植固定し、他方で鼻骨を切除し、同部位にも縦一センチメートル、横三センチメートルの頭蓋骨骨片を移植充填した。

第一回手術によって、原告の右眼の眼窩内容は改善され、その眼位は正面像では良好に矯正できた。もっとも、右下眼瞼の瘢痕拘縮による兎眼、眼球結膜の癒着による眼球運動障害、右眼球の下方偏位、複視、外眼筋瘢痕、流涙、右眼周囲痛、しびれ感、知覚異常などの障害は改善されておらず、そのため、被告百束は被告病院の眼科医に対し、外眼筋の短縮などの眼科的手術を教示して欲しい旨の依頼をしている。

(三) 第二回手術の施行

原告は、第一回手術後も右のような障害を訴え、平成元年七月一四日、被告病院でCT検査を受けたところ、右眼窩を構成する骨の変形や右眼球下方偏位に加え、右上顎洞内に骨硬化性又は異常石灰化を思わせる軟部組織の陰影が認められた。被告百束は、上下眼瞼挙上による眼球位置の矯正、側頭筋膜の吊り上げによる兎眼の改善の手術を行うこととして、原告に対し、大腿筋膜等により眼瞼を上方に吊り上げるなどと術式を説明したところ、原告はこれを応諾し、同年一〇月二七日、被告病院形成外科に入院するに至った。なお、当時の原告の視力は、右眼が0.01から0.02程度であり、左眼は1.2であった。原告は、同月三〇日、形成外科の被告百束、大久保医師及び高他俊哉医師らの担当により、側頭筋膜を翻転させて鼻骨及び下眼瞼に固定した上、側頭筋膜を右上眼瞼に移植して、上下両眼瞼を上方に吊り上げ、また鼻骨部分を削除して矯正するといった内容の瘢痕拘縮形成術、陳旧性鼻骨骨折手術、顔面神経麻痺再建術(静的)の手術を受けた。

しかし、原告は、第二回手術後においても、なお両眼瞼を動かすことができず、兎眼状態が改善せず、創痛や眼痛が自制できる範囲内で持続し、まぶたもはれ上がり、特段眼科的手術を要するほどではないものの閉眼することができない(角膜乾燥の危険がある。)という状態であったため、平成元年一一月二八日、被告病院眼科に転科した上で入院を続けた。同眼科では、上下両眼瞼に組織を移植して眼球を七、八割覆って眼球を保護する措置、眼球を摘出して義眼を入れる措置、ソフトコンタクトレンズをはめる措置等を検討したが、結局、翌平成二年の春ころに形成外科において右眼球陥没を修復する手術を考えることとし、原告は、その後平成元年一二月二二日、漸く被告病院を退院した。

(四) 第三回手術の施行

被告百束は、平成二年五月ころ、原告に対し、右眼球の視力温存にこだわらないならば、将来義眼を装着することを前提として、骨切り術によって眼球陥没を修正し得る余地があると説明していたが、原告においてなお右眼球の保存を希望したことから、脳神経外科の矢嶋医師、眼科の根津医師らに対し、眼球陥没を改善するにはいかなる術式が安全かつ相当なのかを相談した。当時、矢嶋医師の診断によれば、原告の症状は、右眼窩縁は正常位にあるが下壁が下降し、そのため右三叉神経第二枝に障害が生じており、右視力は保たれているものの、眼窩内後方が陥凹し、外眼筋の萎縮もありそうであるというものであった。また、CT検査の結果によれば、鼻腔よりの篩骨が陥没し、内直筋が右部位に湾曲しながら完全に陥入し、視神経管も歪んでおり、これらの眼窩内壁の障害が右眼球陥没の一原因となっていることが判明した。被告百束は、右検査結果に加え、他科の医師らの意見を聴いた上、眼球陥凹を少しでも矯正するため、眼窩下壁に組織を充填することとし、その場合、視神経を傷付けたり圧迫したりしないよう、両側側頭切開による内壁、上壁からの展開による術式をとることとし、これを原告に伝えたところ、原告は、右術式による手術を応諾し、平成二年一〇月一日、被告病院形成外科に入院した。

原告は、当時、右眼の視力がなお0.05程度あり(眼中に軟膏が入っているため右検査は正確ではない。)、視野もかなり広く認められていたため、被告百束は、第三回手術においても眼球の保存を最優先に考え、まずは側頭を切開して眼窩上縁まで展開し、眼球と内壁との間を剥離して眼窩下壁へ侵入する頭蓋骨外のアプローチによる肋骨移植を試み、右術式が困難な場合には、開頭部から眼窩下壁へ侵入する頭蓋骨内のアプローチに変更することとした。被告百束は、同月二日、矢嶋医師に対し、頭蓋内手術に及んだ場合の協力を依頼し、同月六日にも同医師に再度術式の相談をしているが、本件手術の術式は、前頭洞から側面にかけてアプローチし、眼球を外側によけて内側を検索するという相当難しいものである上、右術式による場合には、感染、滑車神経への障害、視力・臭覚の障害等が生じるおそれもあった。

被告百束は、同年一〇月六日午後、原告に対し、今回の手術は場合によっては頭蓋骨内のアプローチをとり、右眼窩内壁から下壁にかけて肋軟骨を充填する予定であるが、右術式には、他方で髄膜炎や失明、右嗅覚脱失、眼窩球突出による兎眼の憎悪等の危険があることを十分説明した。原告は、右手術の施行を承諾し、同月八日、形成外科の被告百束、山村医師、吉田医師、脳神経外科の矢嶋医師の担当により、頭蓋骨形成術、ブロウアウト骨折形成術、肋軟骨移植術の手術を受けた。右手術において、結局、被告百束は頭蓋骨内のアプローチを採用し、原告の前頭骨を一部外して、視神経を直視下にした状態で眼窩内容と骨折部位との癒着を剥離し、右眼窩内容積の拡大を肋軟骨骨片と大腿筋膜で充填したが、術後感染の危険を回避するため眼球赤道以奥の右眼窩下壁までは修復し得ず、右眼窩内壁を修復するに止まった。

右手術の結果、眼窩内壁への組織充填により、原告の右眼の内直筋及び視神経の偏位はある程度修正され、眼球陥凹も多少矯正された。もっとも、原告には、相当程度の痛みが右眼窩奥から発生し、右眼球に強い上転障害が残っていたため、しばらく入院を続けることとなり、右痛みの和らいだ平成二年一二月一日になって被告病院を退院するに至った。

(五) 第四回手術の施行

原告の右眼球陥没は、第三回手術後も際立った改善までみられず、なお右前頭部の痛みや右顔面半側の知覚低下、腸骨を採取した右下腿部の痛み、不眠症などの症状が残存していたため、被告百束は、第一回ないし第三回手術で修復し得なかった右眼窩下壁の箇所に対し、最後にもう一度だけ形成手術を施すことにした。原告は、平成三年三月七日、被告病院形成外科に入院し、同月一六日、被告百束から肋軟骨及び耳介軟骨を移植するという術式の説明を受け、右手術の施行を承諾した。そして、原告は、同月一八日、形成外科の被告百束、滝沢医師、山村医師及び大久保医師らの担当によって、顔面多発骨折根治術、骨移植術の手術を受けた。右手術では、右眼直下の皮膚切開線から右眼窩外下壁を眼球赤道以奥まで剥離し、外直筋にかけての眼窩下壁に肋軟骨を移植し、さらに右耳介軟骨(縦1.5センチメートル、横四センチメートルの長方形の骨片)を右下眼瞼の支持として移植するという内容の手術が行われた。

被告百束は、右手術後、原告の家族に対し、本件交通事故から相当の時間が経過し、骨が固定している現段階では、骨を直接いじることができず、組織を補充する術式しかとり得ないこと、第四回手術以上の右眼の改善を図るには、義眼の装着を前提として骨を再構築すべきであることなどを説明している。

原告は、右眼球に相当程度の疼痛を覚えながらも、平成三年五月一日、被告病院を退院し、その後、平成五年九月一一日まで被告病院形成外科外来にて、引き続き薬剤投与による通院治療を受けた。

4  原告は、被告病院を退院した後、再び昭和大学病院で受診し、前記障害の治療のため、平成四年一月一四日、同年三月一三日、同年七月九日の三回にわたり手術を受けたが、その後、兎眼と睫毛内反による角膜ビランが反復して生じ、さらに、ビラン部に角膜潰瘍が出現するようになり、同年一一月ころには、角膜潰瘍部が白色化し、閉眼することができないほどの眼痛が生じるなど症状が著しく悪化した。そこで、原告は、同病院において、同年一二月八日、右眼球摘出の手術を受け、平成五年九月二〇日、大阪医大病院で右眼に義眼を装着する手術を受けた。

二  本件各手術の術式選択等の相当性、右手術における被告百束の過失の有無、本件診療契約上の被告大学の債務不履行の有無について検討する。

1 原告が、被告病院形成外科での初診当時、右側顔面神経麻痺(前頭枝)、右下眼瞼瘢痕拘縮及び萎縮、兎眼、右陳旧性頬骨複雑骨折、陳旧性鼻骨骨折、右眼窩内壁骨折、右眼窩床骨欠損という重篤かつ複雑な障害を有していたほか、外貌的にも、左右の眼球位置の非対称、右眼球外下方偏位、右眼球陥凹などの醜状が著明であったこと、原告と被告大学との間の本件診療契約の目的が、原告の右眼球を慎重に保存することを前提として、失明のおそれに注意し、前記の各障害、とりわけ外観上支障の大きい右眼球外下方偏位、左右眼球位置の非対称について、完治させることまではともかくとして、可能な範囲で多少なりとも矯正を図ることであったことは、前記一3に認定したとおりである。

原告は、被告百束が、原告の右障害を矯正するための手術を行う前に、気軽に「被告らが手術をすれば簡単に治る。」などと申し向けた旨主張し、<書証番号略>の陳述書の記載中には、これに沿う部分がある。しかしながら、手術前の検査の結果に基づき被告百束が問題として認識した点は、前記一3(一)に認定したとおりであり、また、後記2ないし5の認定に照らせば、原告の障害は甚だ複雑でかつ陳旧性の状態にあり、前医の手術内容を知り得ないという状況の下にあったから、危険を伴う困難な手術を行わなければならないことは被告百束に当然予想されたことと推認され、右の点を考慮すれば、被告百束が原告に対し簡単に治るなどと述べることなどは考えにくく、<書証番号略>の陳述書の記載はたやすく信用することができない。他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

2  そこで、このような本件診療契約の目的に照らし、第一回手術において被告百束の選択した術式が相当であるか否か検討する。

(一) 前記一の認定及び証拠(<書証番号略>被告百束本人)によれば、本件交通事故により原告の頬骨は粉砕骨折して分割されたものの、小澤病院での手術により、前頭頬骨縫合及び頬骨上顎縫合の骨折部位は整復され、ワイヤーで結紮されていたこと、被告百束の初診時において、頬骨の内の眼窩外壁部位などは前医によってほぼ正常位に修復され、眼窩下壁もやや陥没気味ながら固定が施されるなど、頬骨の一部は既に修復済みであったこと、頬骨が粉砕骨折して分割されていたため、頬骨が一体で偏位している場合(エンブロック型)に比して、眼窩内の骨欠損による頬骨陥凹の箇所は極めて小さく、頬骨自体の骨切りによる骨移動をしなくとも、癒着組織を剥離した上で組織を充填すれば、下壁を相当程度に再建し得る状態であったこと、眼窩下壁を再建する材料としては、自家骨とシリコン、テフロン等の人工物が考えられるところ、シリコンを使用すると、術後の眼窩内出血や失明などの重大な合併症のおそれがあるほか、眼窩下動脈の侵蝕、移植物の被膜の肥厚、眼窩内容の線維化の進展などの危険もあり、これを感染の危険性の高い眼窩下壁部分に用いることは適切でないこと、後日の昭和大学病院での手術の際に医師がシリコンを使用したところ、同部位が化膿して術後感染が疑われ、結局当該シリコンを除去する緊急手術が施行されていること、かえって、頭頂部の頭蓋骨外板は吸収が少なく眼窩底と曲面が一致するため、眼窩底の組織欠損に対し充填する材料として適していることの各事実が認められる。右事実に加え、手術における術式の選択は原則的に担当医師の合理的裁量に委ねられていることを併せ考えると、本件において、被告百束が、前記一3(二)に認定したとおり、前医において眼窩底に移植した腸骨と眼球との癒着を一定の範囲で剥離し、頭頂部より採取した頭蓋骨外板の骨片を右眼窩床・右眼窩内壁、鼻骨部分に移植したことは、右眼球の視力を慎重に保存することを前提として、原告の障害、とりわけ眼球位置及び右眼球外下方偏位を矯正するにつき効果的でないとはいえないから、右術式の選択は医師の合理的裁量の範囲内にあり相当であると認められる。

(二) この点、原告は、右頬骨骨折に対する整復固定措置を最優先に行い、眼窩内下壁の欠損範囲を確定すべきであり、これを怠った被告らには過失があると主張する。しかしながら、証拠(<書証番号略>被告百束本人)によれば、頬骨につき骨切りの措置をとる場合には、接している上顎洞部分から、MRSA、いわゆる耐性ブドウ球菌、黄色ブドウ球菌や耐性緑濃菌などの感染の危険性が生じ、ひいては右眼球摘出や髄膜炎などを惹き起こすおそれもあること、他方、頬骨の骨切りによる整復固定措置を行っても、手術既往のある本件のような陳旧性の症例では、眼球運動制限・複視・眼球陥没の障害を必ずしも矯正することができないこと、被告百束は、頬骨骨折り術は感染の危険があり相当でないと判断していたことの各事実が認められる。そうすると、被告らが、人的・物的に充実した大学総合病院として特に高度の注意義務を負っていると解するとしても、右各事実に照らせば、被告らが視神経損傷による失明等の危険性と手術の奏功度合いとを総合的に勘案し、その結果、第四回手術に至るまで頬骨を何ら整復しなかったからといって、直ちに被告らに債務不履行や過失があるということはできない。

原告は、被告百束が、真実に反して、頬骨を骨切り術によって整復する旨手術前に告げ、手術後にもそのような説明を行ったと主張し、原告本人の供述中、甲九の陳述書記載中にはこれに沿う部分があり、また、カルテ(<書証番号略>)にも、被告百束が顔面骨の骨切り術を一時予定していた旨うかがわせる記載がある。しかしながら、頬骨骨切り術は感染の危険性があり相当でないと判断していた被告百束が、右手術を行う旨説明したとは考えにくく、右原告本人の供述及び<書証番号略>の記載はたやすく信用できない。また、右カルテの記載によっても、顔面骨のいかなる部位に対し、骨切り術をどのような形でなすのか判然としないから、これをもって、被告百束が原告の頬骨を整復固定する意図を有していたものと直ちに推認することはできず、他に原告主張の前記事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

次に、原告は、眼窩骨下再建の前段階として、患部の十分な展開、眼窩内容組織の完全な整復挙上、非展開骨折部に陥入している軟部組織の修復といった治療をなし、また右眼窩容積を適正に縮小するよう内壁欠損部位に対し適切な措置をとるべきであったと主張する。しかしながら、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、外傷を受けた眼部の軟部組織は容易に膨張するため、早期に診療を行うことが同部位の骨折の診断には重要であるところ、本件においては、原告の障害は、前記一に認定したとおり、受傷時から約八か月が経過し、前医による手術を受けた陳旧性の症例である上、多岐にわたる重篤かつ複雑なものであるから、軟部組織の十分な修復・展開が困難であることはいうまでもなく、かえって、手術による侵襲範囲が過度にすぎると、篩骨及び内直筋の直近に位置する視神経を損傷し、又は眼球を損傷する危険があること、頬骨の偏位による骨欠損は、頬骨が一体で偏位している場合と比較すると極めて小さく、その容積の縮小化には組織の充填によって十分対応することができる上、原告が、前医による手術内容の必ずしも明らかでない患者であって、右眼窩の容積が健康な左眼の容積と同じと判断してよいか即断し得ない状態にあったことから、被告百束としては、術式の選択に当たって、あらゆる危険を回避しながら徐々に組織充填を行い、眼窩容積の適正化を図るのが相当であると判断していたことが認められる。してみると、被告百束が、原告主張の右のような措置をとらず、右眼球の視力を慎重に保存するとの前提の下に、数回の手術により段階的に原告の障害に対処する方針をとり、第一回手術において、まず眼球位置及び右眼球外下方偏位の矯正を図ったことは、医師の合理的裁量の範囲内にあり相当である。

さらに、原告は、第一回手術によっても、右眼球陥没及び複視の症状が改善せず、かえって兎眼を招いたなどと主張するが、前記1に認定したとおり、そもそも被告百束の初診時から原告には兎眼症状が認められたものであり、また、原告は、移植骨片の採取により頭骨の一部を欠損しているが、弁論の全趣旨によれば、右欠損は一般の施術に伴う程度のものにすぎず、特に原告の身体に著しい悪影響を及ぼすものではないと認められる。そして、第一回手術により、原告の各障害が際立った改善をみたとまではいい難いものの、原告の右眼の眼窩内容は改善され、原告の右眼の眼位は正面像で良好に矯正されたものであり、陳旧性障害を可能な範囲で矯正するという本件診療契約の目的に照らすと、直ちに被告らの施行した第一回手術が無効、有害のものであったということはできない。

3 第二回手術において被告百束の選択した術式が相当であるか否か検討する。

(一) 前記一3の認定及び証拠(<書証番号略>原告本人、被告百束本人)によれば、第一回手術後においても、原告には右下眼瞼の瘢痕拘縮による兎眼、眼球結膜の癒着による眼球運動障害、右眼球の下方偏位、複視等の障害が残っていたこと、原告は、被告百束から、第二回手術につき、瘢痕拘縮形成術、植皮、筋膜移植の術式を予定し、大腿筋膜によって上下両眼瞼を挙上し、鼻骨を矯正し、側頭筋膜を翻転により吊り上げる計画である旨説明を受け、特段の異議もとどめなかったこと、被告百束は、実際には原告から大腿筋膜を採取しなかったが、代わりに側頭筋膜を用いて上下両眼瞼を挙上し、ほぼ予定と同一内容の手術を施行したこと、被告百束の行った側頭筋移行術とは、側頭筋の一部を筋膜で覆って眼瞼部の方向へ移行し、上下両眼瞼の皮下を別々に通して内眼角靱帯に固定する術式であり、側頭筋の収縮力によって閉眼瞼効果が生じ得ること、眼瞼を挙上する措置は眼球位置の挙上を伴い、ひいては顔面神経麻痺に対する処方ともなり得ること、本件のように、手術既往があり眼窩内容の萎縮が主因である眼球陥没の場合は、一般に手術効果は悲観的であるものの、なお、内・外眼角部に瘢痕性皺襞形成のある症例ではその形成術を行ったり、又は眼瞼挙筋短縮を行うことにより、瞼裂の高さが増し外観上改善される余地があることの各事実が認められる。これらによれば、被告百束が、右のような側頭筋膜移植を中心とする術式を選択したことは、原告の障害、とりわけ兎眼症状を矯正するについて一応効果的であって、かつ陳旧性の眼球陥没に対し外観上の改善を図る上で全く効果がないとはいえないから、医師の合理的裁量の範囲内にあり相当な措置であると認められる。

(二) この点、原告は、本件では、被告百束において、頬骨骨折の再建(頬骨骨折による顔面骨の偏平化、下方外方転位した頬骨の再建)をなすべきであったのにこれを怠ったと主張するが、第一回手術の際、被告らにおいて頬骨骨切り術を選択しなかったことが債務不履行や過失にならないことは、前記2(二)に説示したとおりであるところ、その後、頬骨骨切り術の適応性に関して原告の症状の変化を認めるに足りる証拠はない。

原告は、被告百束が原告に対し、真実に反して、第二回手術に先立ち頬骨骨切り術を施行する旨告げ、術後にその旨の説明を行ったと主張し、原告本人の供述中及び<書証番号略>の陳述書記載中にはこれに沿う部分がある。しかしながら、右原告本人の供述及び<書証番号略>の陳述書の記載が採用できないことは、前記2(二)に説示したとおりであり、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、証拠(原告本人)によれば、第二回手術後も原告の兎眼症状、眼球陥没などの障害はほとんど改善せず、むしろ創痛や眼痛が発生したことが認められるが、看護日誌(<書証番号略>)によれば、右創痛等は通常の手術後に生じることのある自制できる範囲内のものにすぎず、また、前記(一)及び一3(三)に認定したとおり、第二回手術は原告の症例に対し一応相当な措置と考えられるから、陳旧性障害を可能な範囲で矯正するという本件診療契約の目的に照らすと、右のような手術結果のみをもって、直ちに被告らに債務不履行や過失があるということはできない。

4 第三回手術において被告百束の選択した術式が相当であるか否か検討する。

(一) 前記一3の認定及び証拠(<書証番号略>原告本人、被告百束本人)によれば、第二回手術後の平成二年五月ころ、被告百束は原告に対し、義眼の装着を前提とするならば、頬骨骨切り術により右眼球陥没を修正し得る余地があると告げたこと、しかるに、原告はなお右眼球の保存を希望したこと、原告の右眼窩のうち外壁はほぼ正常位置に残っており、下壁は第一回手術により相当程度に骨充填をしていたため、右眼球陥没の原因部位のうち未だ治療がなされていない箇所は、右眼窩内壁の骨折、特に眼球赤道の後方の骨欠損であったこと、同部位における篩骨の骨折部は視神経管の近傍まで陥没している上、原告の眼球陥没の程度が重篤であるため、頭蓋骨を外さずに皮を剥ぐ術式によった場合には、視神経損傷、視動脈損傷による眼球損傷などのおそれが高かったこと、頭蓋骨を外す術式によれば、視神経が直視下に展開されるようになり、被告百束は、腫瘍の症例でかかる開頭術を施行した経験があったこと、被告百束は、第三回手術の術式を選択するに当たり、被告病院脳神経外科の矢嶋医師、眼科の根津医師らに数度にわたって相談しており、右手術の施行時にも矢嶋医師に立ち会ってもらっていることの各事実が認められる。これらによれば、被告百束が、前記一3(四)に認定したとおり、開頭部から眼窩下壁へのアプローチをとり、右眼窩内壁に肋軟骨片及び大腿筋膜を充填したことは、原告の右眼球を慎重に保存しながら、原告の障害、とりわけ右眼球陥没を矯正するにつき一応効果的であるから、右術式の選択は医師の合理的裁量の範囲内にあり相当であると認められる。

(二) この点、原告は、第一、二回手術に引き続き、頬骨の骨切り術を行う旨被告百束から説明を受けているのに、かかる施術がなされず、かえって開頭した頭蓋骨内に髪が散在するなど被告百束の手技には落ち度があり、さらに第三回手術の結果、兎眼、右眼球下垂、陥没、眼球運動制限等の障害が悪化して、頭骨変形による激痛が発生するなど、右手術が身体に悪影響を与えたことは明らかであるから、第三回手術の術式選択等は無効、有害なものであったと主張する。

しかしながら、本件では、前記2に説示したとおり、被告らにおいて、感染の危険性等にかんがみ頬骨骨切り術を選択しなかったことは、債務不履行や過失にならないと認められ、被告百束が、頬骨骨切り術を行う旨原告に告げたとの原告主張に沿う原告本人の供述、<書証番号略>の陳述書の記載はたやすく採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、大阪医大病院のカルテ(<書証番号略>)上には、確かに原告の頭部瘢痕内にヘアーが散在していたとの記載があるが、かかる異物につき精密な分析がなされていないため、それが髪の毛なのか、皮膚の断片なのか、骨を縫うときに使用される黒糸なのかすら判別せず、この異物が、第三回手術時に被告百束らによって混入されたものであるのか否かも不明であるといわざるを得ない。そして、看護記録(<書証番号略>)によれば、第三回手術後、原告には相当強度の眼痛が生じたことが認められるが、後日昭和大学病院で右眼球を摘出する直前の時期に比べれば、右の痛みはなお自制し得る範囲内のものであったとみられる。さらに、<書証番号略>によれば、原告の頭頂部位には若干の陥没が認められるが、これは、ナイロン糸での縫合という脳外科で一般に採用される手法に起因するものであるから(被告百束本人)、その手技自体に何らかの過失をうかがわせる事情が認められない本件では、被告らに過失があったものとは認められない。確かに、証拠(<書証番号略>被告百束本人)によれば、第三回手術後に外貌上際立った改善はみられなかったものの、眼窩内壁への組織充填によって視神経の偏位が一定程度矯正されていることが認められるのであり、前記一3(四)に認定したところから明らかなように、特段他の部位に著しい悪影響を及ぼしたという事実は認められないから、陳旧性障害を可能な範囲で矯正するという本件診療契約の目的に照らすと、被告らに債務不履行や過失があるということはできない。

5 第四回手術において被告百束の選択した術式が相当であるか否か検討する。

(一) 前記一の認定及び証拠(<書証番号略>原告本人、被告百束本人)によれば、被告百束は第三回手術において眼窩内壁に組織を充填したが、原告の右眼球が多少外方に偏位していたため、右眼球陥没の障害はそれほど改善しなかったこと、被告百束は、右眼球の保存を前提とする以上、原告の多岐にわたる陳旧性障害を完治させることが困難であると認識しつつも、原告に対し、第四回手術を最後の手術として、なお右眼球陥没の矯正を図ることとしたい旨説明したこと、これに対し原告自身も、従前の複数の医師による手術の経緯から矯正の困難さを知りながら、右手術を積極的に希望したこと、被告百束は、右眼球を前に出すため、第一回手術で充填した部位の外側の眼窩下外側を眼球赤道以奥に至るまで剥離し、この部分に肋軟骨を移植し、下垂の再発した右下眼瞼の支持として右耳介軟骨の移植を行ったこと、第四回手術後の顔貌は、第一回手術前と比較すると、右眼球の眼位の上昇・右下眼瞼の再建によって、多少なりとも正常に近く復したといえなくもないことの各事実が認められる。これらによれば、被告百束が、右のような眼窩下外側への組織充填を中心とする術式を選択したことは、原告自身がなお手術を行うことを希望していた状況において、原告の右眼球を慎重に保存しながら、原告の障害、とりわけ右眼球外方偏位、右眼球陥没を矯正するにつき一応効果的であるから、医師の合理的裁量の範囲内にあり相当であると認められる。

(二) 原告は、被告百束から、顔面が偏平化しているので骨切部位の骨を切り尖鋭化してくっ付けるなどと、頬骨骨切り術の説明を事前に受けたにもかかわらず、右術式による手術を施行されなかったと供述し、また、右手術後、兎眼・眼球萎縮・激痛・顔面神経麻痺などの症状が悪化したと主張する。

しかしながら、原告の右供述が採用できないことは、前記2(二)に説示したとおりである。また、確かに第四回手術後も原告の障害は際立った改善をみせなかったものではあるが、看護記録(<書証番号略>)ほか本件全証拠に照らしても、右手術を原因として従前より著しく症状が悪化したということはできない。

6 前述したとおり、原告と被告大学との間には、原告の右眼球を保存することを前提に、原告の前記障害、とりわけ外観上支障の大きい右眼球下方偏位、左右眼球位置非対称について、可能な範囲で多少なりとも矯正を図ることを目的とする本件診療契約が締結されたものであり、被告百束は、右診療契約に基づき、(一)右眼窩下壁への頭蓋骨骨片の移植充填による右眼球外下方偏位の是正、(二)①上下両眼瞼の挙上による眼球位置の矯正、②側頭筋膜の吊り上げによる兎眼の改善、(三)眼窩内壁への組織の充填による眼球陥没の矯正、(四)眼球赤道以奥の右眼窩外下壁への組織の充填による右眼球の外方偏位の矯正(眼球陥没の矯正)という前記四回にわたる手術を実施したものであるところ、以上の認定によれば、右各手術は、原告の障害を著しく改善する効果を上げることはできず、特に右(二)①の点は何らの改善もみられなかったものの、術式としては相当性を有するものであり、全体としてみればそれなりの効果を上げたのであって、右契約の目的に沿うものであったと認められ、また、右一連の手術等の診療の過程において、被告百束に過失があったとは認め難い。

三  以上の次第で、被告百束に原告主張の過失は認められず、被告大学について本件診療契約上の債務不履行があるとは認められないから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本件請求はいずれも理由がない。よって、本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青栁馨 裁判官山田陽三 裁判官松井信憲)

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